はじめまして。
2020年4月から地域おこし協力隊としてにかほ市にやってきた高舘翔太たかだてしょうたです。
東京から引っ越してきたばかりのわたしが、この町に暮らす人々にインタビュー。にかほの魅力をたっぷりと教わっていきたいと思います!
今回は地元の伝承芸能の担い手でもある佐藤公さとうこうさんにお話をうかがいます

佐藤公さん(33)
にかほ市象潟きさかたの「小滝こだき」という集落で生まれ育ち、
普段は保育士として働いている。
地元に伝わる伝承芸能「鳥海山小滝番楽ばんがく」、
「小滝のチョウクライロ舞」の担い手。
休日は鳥海山に登り、夏は川で魚を手づかみで獲る。
「遊びは自分でつくるもの!」がモットー。

にかほビギナーのわたしにも、山菜の調理の仕方や、蛍の集め方、星空を寝転んで見るためのベストスポットまで、自然を思い切り楽しむ術をたくさん教えてくださる公さん。
そんな風に町を楽しむようになったルーツと、これからの挑戦を聞きました。

佐藤公さん(左)、高舘翔太(右)
インタビューは公さんが子どもの頃から遊んでいたという奈曽なその白滝からスタート。

「いつか舞いたい」。番楽ビートと共に育って

公さんといえば伝承芸能のイメージがあります。地元に伝わる「番楽ばんがく」や「チョウクライロ舞」に携わられているんですよね?

番楽は20歳くらいからやってるんだけど、チョウクライロ舞は長男が舞うっていう決まりがあって、オレは次男だから舞台に上がれなかったんだ。
だから、子どものころは憧れだったな。小さいながらに、「なんでお兄ちゃんはできて、オレはできないんだろう」って思ってた。

番楽は秋田と山形のいくつかの地域に伝わる山伏神楽やまぶしかぐらの一つで、天下太平、五穀豊穣を祈願するといわれている。写真は小滝に伝わる「鳥海山小滝番楽」で、背景に鳥海山の山岳信仰がある。小滝番楽は県指定の無形民俗文化財。
「小滝のチョウクライロ舞」は国指定の重要無形文化財。1200年の歴史をもつ。チョウクライロとは長く久しく生きる姿、として延命長寿を言祝ことほぐもの。

それが大人になってから、集落の仲間から「チョウクライロ舞をやってくれ」って頼まれて。でも、オレは次男だから祭りには関わるべきでないと思ったんだよね。だから「誰か他をあたってくれ」って、一回は引いたんだ。

次男なのにお願いされたというのは、長男だけが継いでいくという原則より、祭り全体の存続のほうが大事な状況になったということですか?

んだね。そう思って、関わることにしたんだ。
今は男の人だけが関わるっていう決まりなんだけど、これから先も継承していくためには、もしかしたら女の人が舞手まいてになることも必要になっていくかもしれない。

チョウクライロ舞は7つの舞から構成され、公さんは「納曽利なそり」と呼ばれる黒い面をつけて演舞した。

幼いころから伝統的なものに触れながら育ってきた公さんですけれど、僕はそういうものになかなか接点を持たずに育ちました。はじめから伝承していこうという気持ちがあったんでしょうか?

伝承のためというよりは、小さいころから番楽にはあこがれてて。子どものころのごっこ遊びといえば「番楽ごっこ」だったくらいだから。「いつかあの演目を舞いたい!」とか「刀をスッって抜くの、かっこいいなぁ」とか思ってたね。

その感覚が今もずっと続いていて。他のところの番楽も、観ると面白いんだけど、やっぱり小滝の番楽が一番かっこいいって思うんだよ。ビートもかっこいいし。ビート……かっこいいんだよな。

でも、他の地域の人たちも、それぞれ「自分の集落の番楽が一番かっこいい」っていうプライドを持っていると思う。育ってきた人は多分みんな、そう思っているんじゃないかな。

初めて番楽を見させていただいた時、僕もあの独特なビートが頭から離れなくて。しばらく歌ったりしてました。

あのビートが体の中に備わっている、血として流れているんだっていう話も聞いて、それってすごいことですよね。ロックでもジャズでもないあのビートは、幼いころから触れているからこそ、舞うことができるんだろうなと思いました。

鳥海山小滝番楽より「四人餅搗きもちつき」。お囃子はやしが、途中から「バンバンバンツク」とも聞こえる独特なビートに変わる。最後に、ついた餅に見立てた、飴やお菓子を見物客に投げるのも見どころ。深緑の布を腰に巻いているのが公さん。

「継ぐ」って何ですか?

今お話に出てきたような「長男だけが継いでいく」みたいなことは、しんどいと思うことはなかったんですか?

小さいころからそうだったから何も思わなかったな。「伝承芸能を継ぐ」のも「家を継ぐ」のも長男の役割っていうのは当たり前に感じているかも。

「継ぐ」ってなんなんでしょう?

う〜ん。一応、親父は農家やってるけど、農家を継ぐっていうより、家に残るってことかな……。

僕もこちらに引っ越してきて、「長男です」と言うと、「じゃあ、そのうち家に戻るのか」と言われることもあって。でも、僕の実家はマンションだし、家を「継ぐ」という感覚はなかなかなくて。

まぁ、昔からの流れだよね。田舎の感覚かもしれないけど、やっぱりこの町では、代々受け継がれてきた家を残さなきゃいけないっていうのはあるんだろうな。

鳥海山に“だけ”登りたいんだ

場所を移し、公さんの母校・旧上郷小学校へ。この小学校は2018年に閉校となり、現在は情報発信や学びあいの拠点「にかほのほかに」として新たな歩みを進めている。

公さんは、にかほの自然も楽しんでますよね。鳥海山にも何度も登ったり。

年に5〜6回は登るかな。みんなからは「他の山もいいよ」って言われるんだけど、オレは鳥海山に「だけ」登りたいんだよね。

「登山好き」っていうのとはまた違うんですね(笑)。

鳥海山は、登り口も8〜9ルートぐらいあるから、全部制覇したいし。何より、その時々、いろんな表情を見せてくれるのが魅力かな。

登っていても、ガスがかかって景色が全然見えない時もあるんだけど、ある年の初夏に登ったとき、ニッコウキスゲっていうオレンジの花が咲いていて。ガスでもやーっとしている中、そのオレンジでライトアップされてるように見えて。まるでオレを誘導してくれてるみたいに感じたんだよね。そういう、ちょっとしたことで感動するんだ。

朝、出勤する時にも必ず山を見て、「今日は山頂が見えた」とか「今日は雪がめっちゃきれいじゃん!」とか思うし、ランニングする時も「夕日を見るためのコース」とか「最終的に鳥海山を正面に見ながら走れるコース」とか、山や風景を基準にコースを組んでみたり。

オレンジの花がニッコウキスゲ。鳥海山の多様な高山植物を見ることも、登山の一つの楽しみだとか。
鳥海登山での一枚。公さんにとっての鳥海山は「こちらが見るものというより、むしろ見られている。自分を見守ってくれているもの」とのこと。

田舎に住む人の中には「ここには何もない!」とネガティブに考える方も多いんじゃないでしょうか。対して、公さんはこの土地を思いっきり楽しまれていますよね。その精神はどこからくるんでしょう?

実は20代前半の頃は、(自分の育ったところには)全然遊ぶ場所がないと思っていて。遊ぶとなれば、とりあえず秋田市で、ボーリングとかカラオケとか。

そうやって、秋田市に遊びに行くことを「秋田に行く」って言うんだよね。

秋田にいるのに……。

そう、秋田にいるのに(笑)。

でも最近は、ボーリングやカラオケとか作られたものじゃなくて、この土地で自分で遊びを作っていくことの面白さに気づいたんだよね。

僕がここに引っ越してきた時、「遊びは自分で作るのが田舎流!」って、LINEをくれましたよね。

そう考えるようになったのは、周りの先輩の影響もあるかもな。飲み会をするにしても、その前になにか一つ「遊び」をプラスしたり。この間は、リレーマラソンをして、それで一汗かいてからバーベキューをして。

祭りに関わるのも、そういう感覚に近いかもしれない。まあ、どちらも結局、最後に酒を飲むのが楽しみなんだけどね(笑)。

28歳、初めて一人で山頂まで登ったときの一枚。彼女に振られた後で気分を変えようと勢いで登った。この時に山小屋の管理人からもらった手袋は、いまでも大切に持っている。
鳥海山の山頂は2236m。車のナンバーもそれにまつわる数字にしているとか。山頂で飲むコーヒーは格別!下山したら鉾立ほこだて山荘で瓶コーラを飲むのが公さん流。
友人である写真家・小川 惇おがわ あつしさん(秋田県由利本荘市出身)による一枚。鳥海山8合目からの写真で、空の星は天の川。奥にはお隣、山形県酒田市街の夜景を望む。

レゲエの神・ジャーが教えてくれたこと

それに、レゲエと出会ったことも大きいかもしれない。保育士の資格を取るために盛岡の短大に行ったんだけど、その頃、「東北レゲエ祭」っていうイベントによく遊びに行ってたんだよね。

レゲエに挑戦したいと思いつつ二の足を踏んでいたころ、ちょうど山形に保育士として歌うレゲエシンガーを見つけ、自分もシンガーに。

レゲエの考え方は本当にポジティブで。レゲエにもラブソングはあるんだけど、それ以外にも政治とか社会的なことも歌うんだよね。

「レベルミュージック」とも言われていて、音楽でレベル上げてくみたいな。「こういう政治をしてくれ」とか、ストレートに歌詞に書いたり。「バッドマインドはいらねぇよ」「ネガティブはもう自分を駄目にしてるよ」とか、はっきりしたことを言っていて。そういうところに惹かれたかな。

レベル・ミュージックとも言うんですね。かっこいい……。

そして、レゲエには「ジャー」っていう神様がいて、「今、苦しいことがあってもそれは乗り越えられる壁だ」みたいな道標を示してくれるんだよね。だから、苦しいことがあっても、「これは何かの試練なんだな」ってプラスに考えるようになったかもしれない。

神事をやりつつ、レゲエの神の話ができるあたりが柔軟ですね。

まぁ、たしかにね(笑)。ほら八百万やおよろずの神、いろんな神様がいるって言うじゃない。

レゲエシンガー時代の一曲“Go For It”
自分に向けた応援歌でもある一曲。力強いこぶしと、秋田弁らしさも交えたビート。ぜひ聞いてみてください。
https://soundcloud.com/ko-sato-2/go-for-it-publik

オレを求めて来てくれる人がきっといる〜次の挑戦

公さんは今後にかほで挑戦したいことがあるんですよね?

そうそう。ゲストハウスをやれないかなって思っていて。3年くらい前かな、埼玉から来たっていう男性と知り合って。その人は、たまたまキャンプでこっちに来ていたんだけど、ちょうど番楽公演があったので誘ってみたら、以来毎年、番楽を観に来てくれるようになって。

でも、その人が来るたびに思うのは、やっぱり、にかほは泊まるところが少ないなっていうこと。小滝で番楽観てもらって、お酒飲んで、そこにすぐに泊まれる場所があったら最高だなって思って。鳥海山の登山客にも利用してもらいたいし。

だからこそ、「ブランド力」を身につけたいと思ってて。
「こんな田舎でやっても、人なんか来ねぇよ」っていう人もいるだろうけど、「オレを求めて来てくれる人がいる。だから出来るんだ」っていう、ブランド力を身につけたい。

「この人だからこそ頼みたい」「この人ににかほを案内してもらいたい」。
そんな風に思ってもらえるような自分のブランドを確立していきたいんだよね。

そのために、今年は「ぶっとぶ」一年に。ぶっとぶっていうのは、何かに長けてて、極めていること。オレもそういう存在になりたくて。鳥海山も伝承芸能も、自分にしかできない楽しみ方でとことん極める一年にしたいな。

わたしがにかほに行くことを正式に決める前、公さんが東京に一人旅をした際に、わたしに連絡をくれました。
昨年にかほで開催されたイベントでご一緒した際、ほんの数時間話しただけでしたが、わたしのことを覚えてくれていて、連絡をいただけたことがとても嬉しかったのを覚えています。
ここに来るまでは鳥海山のことも知らなかったわたしですが、公さんが連絡をくれたことでとても心強く思いました。

すでに公さんには「オレを求めて来てくれる人」のブランド力、あるんじゃないでしょうか。

自然を愛し、にかほを愛する公さん。
そこには伝承芸能・番楽とレゲエの織りなす特別なビートがありました。

参考ページ・もっと知りたい方へ

―秋田民俗芸能アーカイブス「小滝のチョウクライロ舞」
http://www.akita-minzoku-geino.jp/archives/578
―秋田民俗芸能アーカイブス「鳥海山小滝番楽」
http://www.akita-minzoku-geino.jp/archives/622
―「小滝のチョウクライロ舞・九舎の舞」│にかほ市の伝承芸能・年中行事
https://youtu.be/CwSq0zK59P8

「小滝のチョウクライロ舞」「鳥海山小滝番楽」写真提供:にかほ市広報