いきなりですが、みなさんは、秋田県の食品ロスが国民平均の1.7倍も多いという事実をご存知でしょうか。
それは確かに、ある意味で秋田の豊かさの象徴ではありますが、秋田の未来を考えていく上で、決して目を逸らしてはいけない事実だと思います。
ここでぜひ、この写真を見てください。
この一見、とても美しく穏やかな風景。
これは、にかほ市の一般廃棄物最終処分場です。
多くの人たちは、目の前のゴミ箱が縁の切れ目だとその先を想像することすらしないかもしれません。しかしその後、袋に詰められ、回収されたそれらが、クリーンセンターや環境プラザ、はたまた環境美化センターといった名がつけられたゴミ処理施設に集められることはご存じなはず。そして、そこで焼却されたそれらは決して綺麗に消え去るわけではありません。大量のエネルギーをかけて燃やされ、大量の灰となります。その灰が最後にやってくるのがここ、一般廃棄物最終処分場です。
そもそも一般廃棄物とは、わたしたちの日々の暮らしから出るゴミのことです。その約8割が焼却炉で燃やされ焼却灰となり、日本全国では年間430万トンも発生しています。決して消えてなくなることがないそれらは、このような場所に埋め立てられているのです。
わたしたちの暮らしは年々複雑化していて、それらを理解するのが困難になっています。そんななかで「ゴミ」についての困難さはとりわけ過剰なものではないはずです。しかしそこに多くの人が蓋をしてしまっているのが現状です。
便利な暮らしとは、ある意味で自分にとって面倒なことを外部化するということ。わたしがやらない代わりに誰かがやってくれる。そんなことに慣れきってしまったわたしたちが、「便利」と引き換えにした最大のものの一つが「ゴミ」なのだと思います。
そんな一般廃棄物最終処分場は、言わば、人間の業のすべてを包み込む優しき穴のよう。しかしこの大きな穴が灰で埋め尽くされるのは約13年後だそうです。しかもその先のことはまだ決まっていない。たった13年後の話すら後回しにされてしまっている現実。これが日本中のいたるところで起きているリアルです。日本の埋め立て処分場の残余年数は20年程度と言われています。その事実を前に、わたしたちができることはなんなのか?
そこについて真剣に考えていくべきだと思ったのが、今回のプロジェクト発足のきっかけでした。
これまで「にかほのほかに」は既存の建物をなんとか有効に活用しようと必死で奮闘してきました。小学校という、そもそも特定の人しか入らない場所をオープンな場所として開放するためには、法律や、消防などのさまざまな問題をクリアしていかねばなりませんでした。小学校時代には不要だった排煙窓を設置しなければいけないと言われ、それだけで数千万円のお金が工事費用として消えていく。そんななかで、本来やりたかったイベントやワークショップなどの実施ができず、そこに来て新型コロナウイルスの蔓延という、予想しえなかった事態が、さらに僕たち運営チームを苦しめました。
3年間の事業計画のうち、ラスト2年のほとんどがそういった事務処理と、地道な基礎工事にあけくれる日々となりましたが、そういったなかでも僕たちが大切にしたのは、できる限り環境負荷をかけない施設にしたいという思い。理想と現実の狭間で悩み揺れながらも、なんとかキープし続けたのはもはや、その思いだけと言っても過言ではないくらいでした。
そういった思いを次年度以降、いよいよ民間に開かれていく「にかほのほかに」で引き継いでもらえるように、最後のあがきのように、さまざまなアイデアや、ものづくりを残していきたいと考えています。
次回は、僕たちがいま進めようとしている具体的な企画について明らかにしていきます。
text by Satoshi Fujimoto